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好きなミュージシャンを語るシリーズ ①ウディ・ガスリー
関係各位
お疲れ様です。ドゥーです。
簡単な自己紹介をさせてください。
私はこの「ヤングマスター」の店主である、ジョーさんとは小学校からの付き合いです。
このHPを作成したのは勿論のこと、電子ピアノや電子ドラム、DJセットなどを提供し、いわゆる「メカニック」のような立ち位置であり。
※ドナテロのように
ライブ等ではPA等ミュージシャンとして舞台に立ったりなど幅広く携わっています。
 ※ホットケーキ作るのもうまい
そんな僕が今日語るのは好きなアーティストについて語ろうと思います。

 

第1弾は皆さんご存知のあのフォークシンガーの大御所「ウディ・ガスリー」です。

 

ヤングマスターは懐メロ酒場ですが、最も多く店内に飾られているのは、 「吉田拓郎」や「井上陽水」などに代表されるいわゆるフォークシンガーです。
彼等のルーツを辿ると必ずと言って「ボブ・ディラン」にあたります。
ボブ・ディランはフォーク界の偉大なるスターであることは有名ですが、 そんな彼もルーツがあります。
それが「ウディ・ガスリー」なのは日本では 余り知られていません。
しかもボブ・ディランだけに留まらず、 「ピート・シーガー」や「ランブリン・ジャック・エリオット」 などと言ったフォーク界のレジェンド達も強く影響を受けています。

 

※”Wikipediaで「フォークソング」を検索すると最初にヒットするアーティスト” そう説明するだけでも彼の偉大さがわかる

 

さて一体「ウディ・ガスリー」とは何者ゾ ということなんですが、簡潔に説明すると 「放浪の旅を続けながら、各地に住む人々や労働者たちのために歌をつくり続けた 元祖フォークシンガー」なのだ。
説明するのもめんどくさいので詳しいことは適当Wikipediaなどを検索してください

 

■私とウディ・ガスリーとの出会い
 2011年、21歳頃の僕は地元浜松で警備員をしておりました。
当時バンドを組んでおりましたが、そのバンドのボーカルのムラ君が、 ビートルズにハマり「ビートルズ風」の曲を作ってくるようになりました。
更にはみんなで「シーラブスユー」か「ペーパーバックライター」を演ろう! と圧力を掛けてきたため。バンド内の関係が悪化していったのである。
僕はビートルズよりもカラオケで小学校の同級生の本庄君とビートたけしを歌うことに ハマっていた為、二つのビートがぶつかりあい大変なことになっていきました。
俺はボーカルの男に映画「ソナチネ」を勧めれば、 向こうは「ヘルプ!四人はアイドル」を勧めてくるなどして、互いの感性はぐちゃぐちゃに、、、、
なんだかんだサンストリート浜北の立体駐車場などで喧嘩をしたりなど経て、 わりと「ビートルズ好き」になった僕は、 ビートルズのサウンドとビートたけしの音楽性を融合させた新たなサウンドの楽曲を生み出そうとしていました。
しかし、ビートたけしを一緒にカラオケで歌ってくれた本庄君が 「東京にいく」 と言い出し、 更にバンドのボーカルのムラ君が 「東京に行った本庄の家に安くで居候する」 と言い出し東京に行った為、バンドは活動休止になってしまいました。
リッケンバッカーのベース、
ヘフナーのバイオリンベースを買うまで熱くなっていた、僕のビートルズ欲と、ビートたけし風の漫才をアドリブで舞台でやろうとして ダダ滑りしたりしていたビートたけし熱がすっかり冷めてしまい途方にくれていた頃、
警備員の1年後輩(61歳)が 「ドゥーさんの好きなビートルズの映画とその他何本か名作映画のVHSを貸してあげるよ」 と言い、ビデオデッキが化石と化した時代にVHSを貸してくれました。
ビートルズの「バックビート」
クロサワアキラの「7人の侍」
そしてウディガスリーの伝記映画「ウディガスリー、わが心のふるさと」がありました。 ■こわれかけのビデオデッキで見たもの
当然ウディガスリーのことも知らない為、 何の先入観もないままウディガスリーのVHSをビデオデッキに差し込むと、、、
ビデオデッキの中でテープが絡まってしまった、、、
必死に取り出そうとして力づくで引っ張ると、テープが切れた
借り物を壊してしまった焦りから、セロテープを使って強引にテープを繋げ ビデオデッキに差し込むとゆっくりと映画が始まりました。
ここまで書いて面倒くさくなったので内容を省略すると、かなり衝撃的な映画でした。
まず退屈!これに限る。
テンポが悪くすごく眠くなります。
そして次に「ウディ・ガスリー」の頭がヤバすぎる 家族を養うために仕事を探しにカリフォルニアに行ったのに、道中で女を抱き、
女が寝てるベッドの横で家族に向けて手紙を書いたり、
ラジオパーソナリティになり、家族を養えるようになったのに左翼思想に染まり、 ラジオ局を辞めた挙句、
泣いている妻や子供を見捨てて家を飛び出すシーンなど
しかし地位や名誉、そして家族や子供を捨ててまで「世の中を変えよう」として 貨物列車に無賃乗車するラストシーンはどこか感動的であり、 限りない可能性を感じさせたのであった。
感動的なエンドクレジットの中流れてきた曲は
「THIS LAND IS YOUR LAND」
この曲を私は知っていた。
それはバンドの音楽性を追求する中で、過去に中学校の音楽の授業でならった 「PUFF」を聴くために買ったピータポール&マリーのアルバム 「ムーヴィング」に入っていた曲。
puffの次の曲順だったため、 知らないまでもメロディが心地良いなあと思っていた曲だった。
そこで、こう思った。
もしかしてこの「ウディ・ガスリー」すごいアーティストなのでは、、、 ■”オリジナル”の衝撃
そこから調べると、出てくる、出てくる、、 !まるで頼りないと思っていた超人が
かつての伝説の正義超人だったと判明するような驚きがあった。
①フォークの始まりはウディ・ガスリー
②ボブ・ディランが最初に書いた曲は「ウディに捧げる曲」
③ブルーハーツの「traintrain」はこの映画の原作の冒頭文の 「This train is bound for glory, this train. (この汽車は栄光に向かって走る)」のリスペクト
などといった洋楽、邦楽問わずいたる所で、 「自由」を求めたアーティストの裏に「ウディ・ガスリー」の影があった。
すぐにタワーレコードでウディガスリーのアルバムを買うと 、
そこにはシンプルなスリーコードの楽曲を自由自在に歌うウディガスリー、
まるで語りのような独特な歌い方は、
あの「ボブ・ディラン」や 「吉田拓郎」を彷彿、、、いやそれは違う。これは間違いなく彼らのオリジナルなのだ。
そして何よりも素晴らしいのは曲全体から放たれる力強い生命力、陰鬱な60~70年代フォーク  にはないリズミカルでその場一体を鼓舞するような、絶望に嘆くのではなく、絶望に瀕しても絶対に負けないぞという力強いメッセージ。

 

そうして俺はこう思った。
「おれもウディ・ガスリーのように、自由自在にスリーコードの上を踊りたい」
そうして俺はバンドサウンドではなく自分でギターを弾き、
自分のうたを作って届けたいと思った俺はなぜかギターを左利きに転向する為 1年以上の歳月をかけ転身を果たすのであった、、、、、(続く

※深夜のテンションで書いた為偏差値40の底辺高卒らしい文になった。

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